ネタバレ感想・解説 ポン・ジュノ監督デビュー作『ほえる犬は噛まない』:日常の中で社会を風刺した作品!
こんにちは、Masashiです。
今回、映画『パラサイト』で日本でも一躍知名度を上げたポン・ジュノ監督のデビュー作品、『ほえる犬は噛まない』についてお話しします。
アカデミー賞を受賞した『パラサイト』で、その地位を格好たるものにしたポン・ジュノ監督のデビュー作です。
2000年に韓国公開、2003年に日本でも公開されました。
ポン・ジュノ監督といえば「非日常作品」が多いですよね。
連続殺人犯を追う『殺人の追憶』、殺人容疑をかけられた息子の無実を証明するため奔走する母親を描いた『母なる証明』、ソウル中心部に現れた怪物に立ち向かう一家を描く『グエムル』、そして、金持ち一家に寄生する貧乏一家にフォーカスした『パラサイト』。
いずれも「非日常」の渦中における人々の心理描写が見事で、なおかつ視聴者へのメッセージ性を詰め込んだポン・ジュノ監督の手法が評価されています。
本作『ほえる犬は噛まない』は反対に、登場人物も舞台も一般的。
あくまで「日常」における出来事からメッセージをぶつけてきます。
興行的にはイマイチだったようですが、個人的には素晴らしい作品だと思いますし、
映画ファンからも賛否はありますが「鬼才ポン・ジュノの鮮烈なデビュー作だ!」との評価も多いです。
ちなみに、本作は愛犬家の方は見てられない部分が多いのでご注意ください。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事ですので、
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
最後までご覧いただければ幸いです。
もくじ
『ほえる犬は噛まない』
あらすじ
舞台はIMF不況が続く韓国。中流家庭の住む、どこにでもあるような団地。
大学教授を目指すユンジュは、研究者として芽が出ないことと、妻のヒモになっている現状にストレスを抱えている。
そんな中、本来飼うことが禁止されているはずの犬の鳴き声が団地中に響き渡り、より一層ユンジュのストレスを加速させる。
ある時、彼は団地内で見つけた犬を地下に閉じ込めてしまう。
一方、団地の管理事務所で働くヒョンナムは、退屈な毎日に嫌気がさしている。
ある日、団地の少女から「飼い犬がいなくなった」と相談され、貼り紙を貼って捜索に協力するが…。
キャスト
- パク・ヒョンナム:ペ・ドゥナ
- コ・ユンジュ:イ・ソンジェ
- ペ・ウンシル:キム・ホジョン
- ピョン警備員:ピョン・ヒボン
- 地下に隠れ住む男:キム・レハ
- ユン・チャンミ:コ・スヒ
- 犬を飼う老女:キム・ジング
作品背景
・タイトル
韓国での原題は『플란다스의 개(フランダースの犬)』です。
日本では同名アニメと被ってしまうため直訳せずオリジナルタイトルにしたようですが、劇中でも皆さんご存知のテーマソングが流れます。
・不況真っ只中の韓国が舞台
ご存知の方も多いと思いますが、1997年のIMF通貨危機における不況が尾を引き、ワーキングプアの大量発生が社会問題となっていました。
本作でも登場人物が金銭面で苦労する描写があり、アニメ「フランダースの犬」との大きな共通点になっています。
・犬を食べる文化
韓国には犬を食べる文化があります。
1988年のソウルオリンピックの際、オリンピック参加国から犬食文化に対して批判が出たようです。対応として、犬肉料理店を人目のつかない裏通りに移転させたという経緯もありました。
今ではペットとして犬を飼う人が増えてきていることもあり、今の若者は食べたことがない人も増えているようです(特に女性)。
これらのことを踏まえてご視聴いただくと、ストーリーがスッと入ってくるはずです!
レビュー・考察(ネタバレあり)
ここからは作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察ですので、作品を未鑑賞の方はお気をつけください。また、以下はあくまで個人的な考察です。ご自身の解釈と異なる場合はご容赦ください。
通底するテーマ①表面だけでは優劣は判断できない、そして真の優劣は瞬間的なもの
うだつの上がらない生活から、「棚からぼたもち」のラッキーもあり、目指していた地位を手に入れたユンジュ。
その一方、健気さと優しさがかえって災いし、職を失うことになるヒョンナム。
仮に「幸福度」で優劣を付けるとするならば、本来交わることのない2人が1つの出来事を通して出会い、表面的には優劣が逆転してしまいます。
しかし内面では、ユンジュは罪の告白はおろか、自らを断罪することもできず、おそらく罪悪感は消えることは無いでしょう。
対してヒョンナムは、職こそ失うも、気の合う友人と山に気晴らしに行くなど、思い詰めた様子はありません。
そして、飼い犬がいなくなった少女は、序盤は「犬が見つからなかったら死ぬ」とまで言ってヒョンナムに泣きついたにもかかわらず、あっさり次の犬を飼って楽しそうにしています。
ヒョンナムと少女の優劣は終盤完全に逆転してしまいました。
そしてもっと言えば、終盤、電車内の物乞いの親子に対し、ユンジュが自らの罪滅ぼしのために恵んでいたシーン。
なぜヨンジュは自分の方が上と思っていたのでしょうか。
うがった見方をすれば、あの親子はウソをついて金銭を詐取しており、ヨンジュよりも裕福かもしれない。
仮に親子の話が真実であったとしても、不幸な状況は今この短い期間なだけで、もしかしたら数ヶ月後には何かの出来事で裕福になっているかもしれない。
反対に、電車では恵んだユンジュも、いつ貧困に陥るか分からないはずです。
「表面上だけで幸福度などの優劣はわからない、ましてその優劣など瞬間的で、いつでも入れ替わるものだ」ということも、ポン・ジュノ監督の描きたかった部分ではないでしょうか。
通底するテーマ②「被害者と加害者は常に表裏一体である」
夜中寝ているヒョンナムに、テレビ局を偽るイタズラ電話がかかってくるシーン。
(c) 2013 CJ E&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
そして、犯人を捕まえきれなかったヒョンナムが、友人のチャンミと腹いせのように路上駐車のミラーを折るシーン。
(c) 2013 CJ E&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
前者ではヒョンナムは被害者、そして後者では加害者です。ミラーを折られた被害者など、存在しないかのように描かれています。
しかし、無視されているだけで存在しているんです。イタズラ電話を受けて不快な思いをしたことなんて忘れ、あろうことか無自覚に加害者になっている。
エンディングで唯一のメタ表現である、ミラーをこちらに向けてチラチラと照らすシーン。
我々観客に対し、どストレートに「ほら、被害者と加害者は常に表裏一体なんですよ」と言わんばかりの二人の表情。
いつ入れ替わってもおかしくない、あるいは無自覚に加害者になっていることすらある、そのようなメッセージとも取れるのでは無いでしょうか。
『パラサイト』では、本作よりも貧困にフォーカスし、上流と下流を生々しく描いていましたが、ポン・ジュノ監督はデビュー作から「社会への批判」を映画の中に織り込んでいたと言えるでしょう。
クスッと笑える、皮肉を含むブラックコメディ
本作をジャンル分けするならば、「ブラックコメディ」が妥当では無いでしょうか。終始薄暗い団地を舞台に、決して気分が良くない出来事をベースに物語は進むのですが・・・。
主演のぺ・ドゥナの透明感で相殺しきれない部分を、コメディ要素で緩和しています(上映当時は爆笑する観客もいたといいます)。
その中で、韓国じゃないと伝わらない部分があったのでご紹介します。
豪快な友人チャンミは「バラ」を意味する
本作の心地いいスパイスになっているのが豪快な友人チャンミなのですが、チャンミ(장미)は、日本語で薔薇(バラ)という意味です。
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韓国には実際チャンミという方はいらっしゃいますが、イメージとしては非常にお上品な名前です。
ここがまた上手いのが、途中まで呼称は「あんた」とか「おい!」であり、友人の名前はいっさい出てこないわけです。
大ピンチの時に「チャンミ!!!」と呼ばせて、(こいつの名前、薔薇かよ…笑)となるわけです。
シリアスなシーンにもポップな音楽で緩和し、全体が軽すぎず重すぎず。
この作品、コメディとシリアスのバランスがとにかくいいです!
おわりに
いかがだったでしょうか。
正直、ポン・ジュノ監督は見た後に観客に考えさせる映画が多いのですが、本作もその一つです。
「それで、結局どういうこと?」となりがちなのですが、それに対して私なりに解説をしてみました。
Amazon Prime Video、Gyao等で有料配信してますので良かったらご視聴してみてください。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
今後も様々な映画紹介・レビューをしていきますので良かったらまたご覧ください。