映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』は実話? モデルになった男の正体は。

ヒューマン映画 映画レビュー 民主化運動

こんにちは。Masashiです。

今回は映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』の記事です。

主人公のマンソプとドイツ人記者のピーターは実在する人物がモデルとのことでしたね。

『この物語は事実を元に再構成されています』というテロップから始まる本作。要するにフィクションですね。

映画と比べて、実際のところはどうだったのかを様々な資料をもとに見ていきます。

ちなみに、あらすじやキャスト・予告動画はこちらの記事にまとめています。結末のネタバレはありません。
>>『タクシー運転手 約束は海を越えて』感想:民主化運動の裏で闘った知られざる人々

※以下の『もくじ』から好きなところへ移動できます。

スポンサーリンク

もくじ

実話映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』検証

モデルとなった2人

タクシー運転手・マンソプのモデルはキム・サボク氏。

そしてドイツ人記者ピーターのモデルはユルゲン・ヒンツペーター氏。

2人が動乱の最中の光州に乗り込み、撮影した映像は世界に発信されて民主化への大きな一歩になりました。これは紛れもない事実。

初めてキム・サボク氏の名前が世界に知られたのは2003年。

韓国のマスコミ賞(송건호 언론상)の授賞式でのユルゲン・ヒンツペーター氏のスピーチに端を発します。

「私を連れて光州に行ってくれた韓国人タクシー運転手のキム・サボク氏と光州の若者のおかげで取材ができた」
引用元:中央日報2017年7月18日記事より

彼は知り合いを介してサボク氏を捜しましたが見つけることはできず…。
劇中のエピローグでもあったように、2016年1月にヒンツペーター氏は亡くなっています

そして2017年8月2日、韓国で本作が公開されました。

“キム・サボクの息子”が名乗り出る

映画公開からまもなく、Twitter上でキム・スンピルという男性が「映画のモデルになったキム・サボクは私の父だ」とツイートしました。

2017年8月5日ツイートの日本語訳は以下の通り。

私はキム・サボクの長男です。昨日息子とこの映画を見て、いつも私の中にいらっしゃる英雄が出てきたようです。
父のことを忘れず捜していただいたユルゲン・ヒンツペーター氏に深い感謝を差し上げるとともに、ご冥福をお祈りします。
製作陣の皆様にも感謝申し上げます。

ここで言っている“英雄”とは父・サボク氏のことですね。

このツイートに対し、「本当か?」「映画公開後に作られたアカウントに信憑性はない」という懐疑的な反応が多かったのですが…。

キム・サボク氏は「1984年に肝臓癌で亡くなった」

彼のTwitterを見ると悲しいツイートがあります。

日本語訳は以下の通り。

当時ドイツ記者の方々と光州に行ってきたという話と映画内容の大部分が一致し、父はキム・サボクという本名で堂々と生き、1984年12月19日に6ヶ月の闘病生活を終えて天国へ行きました。ありがとうございました。

1980年5月の光州事件から約4年後にサボク氏は亡くなっていました
ヒンツペーター氏が彼を捜しても見つからないはずでした…。

息子キム・スンピル氏インタビュー

そんなキム・スンピル氏の話は信用できるものなのか、韓国で取材が行われました。

以下、韓国のオーマイニュース2017年9月5日記事より引用したインタビュー記事の写真です。(著作権はオーマイニュース様に帰属します)

引用元:オーマイニュース2017年9月5日記事ⓒ권우성

引用元:オーマイニュース2017年9月5日記事ⓒ권우성

サボク氏とヒンツペーター氏が写っている写真も存在します。

写真を見るに、ヒンツペーター氏と写っているのは紛れもなくキム・スンピル氏の父親(サボク氏)ですね

動乱の中の光州に行ったと父親から話を聞いた。(中略)光州に入るのは大変だったが、出る方がもっと苦労したという。兵隊の検問もあったと聞いた。
引用元:オーマイニュース2017年9月5日記事(原文韓国語)

このような思い出話も語られています。

インタビュー動画はこちら(日本語字幕ありません)

しかし、息子によるとサボク氏は亡くなってます。
またヒンツペーター氏も、同行していた音響技師も亡くなっているので当事者に直接確認することはできません。

残されたのは写真という状況証拠のみです。

関係者の証言

オーマイニュース2017年9月5日記事によると、「光州でキム・サボクとヒンツペーターを見た」と証言する関係者がいました。

当時現場にいたというキム・スンヒョン氏です。

キム氏は「ドイツ人の記者が“ハンブルグ”と書かれた腕章をつけており、隣には通訳のような韓国人が一緒にいた」とし、「通訳にしては服装がボロボロで、身長は高く痩せていて40代後半から50代程度に見えたが、記事を見るとキム・サボクさんのようだった」と話した。引用元:オーマイニュース2017年9月5日記事

彼の目撃証言もあり、キム・スンピル氏の話は信憑性を持ちます。

「キム・サンピル氏の主張は信憑性あり」

息子キム・サンピル氏の証言等を検証中のユ・ギョンナム氏(“5・18民主化運動記録館”所属研究員)は、韓国オーマイニュースの取材にこう答えています。

「報道された記事や写真、キム・スンピル氏の陳述などを見たときにかなり信憑性があるようだ
引用元:オーマイニュース2017年9月1日記事(原文韓国語)

ユ・ギョンナム氏のインタビュー動画はこちら(日本語字幕はありません)

この発表により、彼の父親こそ映画のモデルになったキム・サボクであるという見方が強まっています。

ここまでを踏まえて、息子のキム・サンピル氏の話から映画との相違点を見てみましょう。

映画と実話の違う点まとめ

基本的には実話ベースの映画で、主人公2人以外は架空の人物です。
凄惨な事件でしたが、終盤のタクシーの展開も実際にあったわけではないでしょう。

それ以外にも、主人公の細かい部分にフィクションが散りばめされていますのでご紹介します。
劇中の役名は、サボク氏→マンソプ、ヒンツペーター氏→ピーターです。

その①:マンソプは最後にピーターに偽名を伝えた

【実際】本名の“サボク”をきちんと伝えていました。
しかし彼は事件後の84年に亡くなったため、ヒンツペーター氏が探せなかったということと推測されます。

その②:マンソプは別のタクシー運転手の仕事を横取りする形でピーターを乗せて光州に行った

【実際】サボク氏は語学堪能なため、ヒンツペーター氏を乗せたのは正規の流れで請け負った仕事でした。
「決して横取りしたのではない」と息子はやや憤りを感じているようです。

その③:マンソプは娘が1人だけいた。

【実際】サボク氏は息子が2人いました。

いずれも既出のインタビュー記事からの情報です。

この辺りでしょうか。

この映画が作られる段階でキム・サボク氏は既に亡くなっておりました。
まして製作陣は息子キム・スンピル氏にも辿り着けてないわけですから、事実の部分をヒアリングして映画を作るのは難しかったのではないでしょうか。

“キム・サボク氏”像については、息子からも世間からも様々な意見があるようですが、本作はフィクションなので我々はその範囲内で楽しめばいいのではないかと思います。
劇中でのマンソプ(サボク氏)の描かれ方は好意的なものでしたので、問題ないと思います。

おわりに

いかがだったでしょうか。

実際の2人がどうであれ、キム・サボク氏とヒンツペーター氏の行いを尊敬すべきものですし、映画は名作であることは変わりません。

未視聴の方はぜひご覧ください。
>>『タクシー運転手 約束は海を越えて』感想記事(結末ネタバレなし)はこちら

当ブログでは、今回のように映画のモデルになった事件に関して、ニュース記事や当事者の証言を基に検証しております。

他の検証記事もご覧いただけると嬉しいです。

≫【実話】『1987、ある闘いの真実』モデルになった人々を紹介

≫ 実話映画『幼い依頼人』のモデルになった事件と、その後の韓国社会の変化

≫【本人画像あり】『工作 黒金星と呼ばれた男』のモデルになった男達

≫『悪人伝』は実話? モデルとなった“天安連続殺人事件”とは。

最後までご覧いただきありがとうございました。