韓国における“民主化運動”の歩み【わかりやすく解説】

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韓国の民主化運動って映画とかでたまに見るけど、よく分からない。そもそもどういうこと?」

こんな疑問に分かりやすくお答えします。

■本記事の内容

  • そもそも『民主化運動』って?
  • 韓国はいつ『民主化』されたのか
  • 韓国の『民主化』までの道のり
  • 『民主化運動』にまつわる韓国映画まとめ

Netflixなどの動画配信サービスが勢いを増し、韓国映画をご覧になられる方が少しずつ増えている昨今。

韓国映画人気ランキングの上位で検索した際に、必ず入っていると言ってもいい作品『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)はご存知でしょうか。

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あらすじに当然のように書いてある「民主化運動の裏で闘った知られざる人々を描いた〜」という、いまいちピンと来ない説明に「どういう意味??」と思った方も多いのでは無いでしょうか。

その他にも民主化運動関連の映画はたくさんありますが、本記事をご覧いただければそれらの映画をより深く理解できます。

    本記事は歴史的事象を分かりやすく伝えることに重点を置いているため、民主化運動の過程で亡くなった方々への敬意を欠いた文章になっているかもしれませんが何卒ご了承ください。

今回は様々な映画の題材となっている韓国の『民主化運動』について解説します。

※以下の『もくじ』から好きなところへ移動できます。

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もくじ

そもそも『民主化運動』って?

『民主化運動』とは文字通り、「民主化を求める運動」のこと。

そして『民主化』とは、goo国語辞典によると以下の通りです。

考え方・制度などが民主的なものに変わっていくこと。また、そのように変えていくこと。
出典:goo国語辞典

『民主化』を簡単にいうと、国が民主主義に変わることを言います。

「国の方針は、国民の意思を反映させて決める」という考えを基本にして、日本を含む世界中の多くの国が民主主義を採用しています。

市民による民主化運動とは、言論や思想の自由を求めて国民が政府に対してデモを行なったり、というのが一般的です。

『民主主義』の対義語の言葉として、『君主制』や『独裁制』があります。

「国の決め事は政治について優秀な1人(あるいはごく一部の政治家)が決める」ということですね。

民主化前の韓国は実質的に『大統領による独裁制』でした。

国の方針に反対する国民は理不尽に逮捕され、拷問されるということが多々ありました。

今の韓国では考えられないことですが…。

いつ『民主化』されたのか

韓国の民主化が達成されたのは1987年6月29日のこと。それほど昔ではなく、約35年前です。

国民達が長く苦しい闘いの末に勝ち取ったものであると言えるでしょう。

その過程で命を落とした方や、現在も心身の傷に苦しんでいる方が多くいらっしゃいます。

韓国の『民主化』までの道のり

韓国が『民主化』を達成するまで道のり。この部分を重点的にご説明します。

1948年〜1960年:李承晩政権

まずは近代韓国の始まりから見ていきましょう。

1945年に日本からの植民地支配から解放され、1948年に大韓民国政府を樹立。

大韓民国の初代大統領は李承晩(イ・スンマン)。

出典:매일신문2015年6日24記事

ちなみにその頃から1987年に民主化されるまで、ずっと独裁政権でした。

アメリカとソ連によって南北が分断され、1950年〜1953年の朝鮮戦争を経た韓国。

韓国の大統領は任期が来たらその都度選挙で新たな大統領を選ぶ方式なのですが、
当時の大統領であった李承晩は権力を握り続けるため「初代大統領(自分)に限っては3回以上大統領になってもいい(三選禁止規定の撤廃)」と憲法を改正しました。

そして選挙の結果、李承晩は3回目の大統領になります。

しかしその際の選挙は不正が蔓延しており、反対デモが活発化。

李承晩の退陣要求が強まり、1960年に退陣。12年の独裁政権がひとまず終了。

韓国近代史における最初の民主化運動と言えるでしょう。

1961年〜1979年:朴正熙政権

しかしその後の1961年に朴正熙(パク・チョンヒ)が軍事クーデター(5・16軍事クーデター)で政権を握り、大統領になります。

当時世界最貧国の一つであった韓国。

朴正熙政権下では、その政権の正当性を誇示するために①近代化②経済発展に重点が置かれて運営がなされました。

簡単にいうと「クーデター起こしてまで大統領になったんだから、ちゃんと国を良くしないと国民はついてこないよね」という考えです。

結果としてこれは大成功。

韓国は『漢江の奇跡』と呼ばれるほどの経済発展を成し遂げ、一気に経済大国の仲間入りを果たします。

しかしそれは正の側面であり、負の側面としては政権が独裁政権を強めたことと、経済発展の裏で低賃金労働者を量産したことなどが挙げられます。

朴正熙大統領が独裁色を強めたきっかけが、1972年に強引に発布された“維新憲法”でしょう。

これは『立法権・行政権・司法権を全て大統領に集中させる』というものでした。

    日本などでは、立法権・行政権・司法権の3つの大きな権力の運用をそれぞれ異なる機関が行うことで権力の集中を防ぐ“三権分立”という仕組みが採用されています。
    権力が一箇所に集中することを防ぎ、国民の権利と自由を守る目的です。

この維新憲法に対する反対デモが頻繁に起こるようになりましたが、デモ参加者を拘束して弾圧。

言論においても徹底的な弾圧を行い、一言でも政府を批判する発言があれば拘束される時代でした。

そんな朴正熙は憲法改正や不正選挙で大統領を歴任。

それまで大統領の選出は国民が投票する“直接選挙制”でしたが、憲法改正により“統一主体国民会議”という自分の息のかかったメンバーが国民の代わりに大統領を選出する、という仕組みに変えました。

決められた任期はあるものの、何度でも大統領になれるように憲法を改正し、極端に言えば死ぬまで自分が大統領でいられるようにルールを変えたということですね。

結果として、朴正熙は18年間も大統領を務めました。

朴正熙大統領暗殺事件

そんな中で釜山市周辺で反政府デモ(民主化運動)はより一層加熱し、武力で鎮圧します。

出典:KBS NEWS 2018年11月29日記事

ますます加速する独裁政権は内部で分裂。

1979年、朴正熙大統領は中央情報部(KCIA)のトップである金載圭(キム・ジェギュ)に暗殺されます。

出典:한국일보2021年12月20日記事

自身の部下に暗殺され、朴正熙政権は突然の終わりを迎えることになりました。

この暗殺事件を描いた映画『KCIA 南山の部長たち』(2020年)で克明に描かれています。

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名俳優イ・ビョンホンが金載圭にあたる人物を演じました。

1980年〜1987年:全斗煥政権

朴正熙大統領による18年に渡る軍事政権が終わり、拘束されていた人達が解放されるなど、韓国全体の民主化ムードが強まります。

しかし、この国民の期待は淡く散ってしまいます。

1979年12月12日、またもや軍部がクーデターを起こして政権を握ります(粛軍クーデター)。
指揮したのは全斗煥(チョン・ドゥファン)。

出典:서울신문2019年5月13日記事

のちに大統領になるこの男が、韓国近代史で最悪の悲劇である“光州事件”の首謀者です。

光州事件

全斗煥が率いる軍部は1980年5月17日に非常戒厳令を出しました。

    非常戒厳令とは…
    政治的デモや集会を禁止したり、テレビや新聞は事前に検閲したりと、国民に民主化運動をさせないためのものです。

翌日18日にはその範囲を全国に拡大させましたが、韓国南西部の都市、光州では相変わらず民主化を求める市民らがデモを行なっていました。

軍部は光州を見せしめにする形で、1980年の5月18日〜27日に渡り多くの一般市民を殺害しました。

これがいわゆる“光州事件”です。

最終的な犠牲者は約200名とされていますが、行方不明者を合わせるとその数字よりも遥かに多数の方が犠牲になったと言われています。

光州事件を描いた映画はいくつかありますが、
事件の顛末を描いた『光州5・18』(2007年)、

事件の実態を世界に知らしめた外国人記者と、彼を光州に連れて行ったタクシー運転手を描いた『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)などがあります。

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世界に光州事件が知られましたが、残念ながらすぐ後に民主化が実現することはありませんでした…。

その後、1980年9月に全斗煥は大統領に就任。(光州事件の時点では大統領ではなかったということです)

引き続き独裁政治を推進していきます。

転機となった1987年の“6月民主化抗争”

韓国における大転換期となったのが、1987年

1987年1月14日、民主化デモを行なって逮捕された大学生(パク・ジョンチョル氏)が警察の取り調べ中に死亡する事件が発生。

警察の拷問による窒息死でした。警察はこの事実の隠蔽を図ります。

しかし、医師や検事、刑務所の看守らなど、事件に関わった人々が「この事実を闇に葬るまい」という想いで世間に知らしめました。

この部分については映画『1987、ある闘いの真実』(2017年)で描かれています。

出典:NAVER영화

この“警察の拷問による窒息死”であるという事実は韓国を震撼させました。

「なぜ罪もない若者が死ななければならないのか?」

多くの国民に影響を与え、打倒・独裁政権のムードが高まって全国各地で大規模なデモが起こります。これがいわゆる“6月民主化抗争”です。

同じく大学生のイ・ハニョル氏もデモ参加中に頭部に催涙弾を受けて亡くなったことも、国民の心を動かしました。

政府は、それ以上武力で国民を抑えつけることができなくなります。

1987年:民主化の達成

1987年6月29日、政府によっていわゆる『民主化宣言』が発表され、国民が待ち望んでいた民主化が達成されます。

    『民主化宣言』の背景として…
    翌年1988年に韓国にてソウルオリンピック開催が予定されていたことが挙げられます。
    全国的にデモが続く当時の状況では「オリンピックどころじゃない」と判断され他国開催に変更の可能性がありました。
    政府としてはそれだけは避けたかったこともあり、民主化宣言に踏み切ったとも言われています。

『民主化宣言』の内容としては主に、大統領は国民が直接選ぶ“直接選挙”にすることや、民主化運動で逮捕された政治犯の解放言論の自由の保障などが挙げられます。

こうして民主化が達成された韓国は無事に1988年のソウルオリンピックを開催し、民主主義国家として現在も国民が主体となって運営されています。

以上が韓国における民主化の歩みです。

『民主化運動』にまつわる韓国映画一覧

ここまで説明した民主化運動を題材にした韓国映画をまとめます。

“朴正熙暗殺事件”が題材の映画

『KCIA 南山の部長たち』(2020年)

朴正熙大統領直下の諜報機関、KCIAトップのキム部長。
彼が朴正熙大統領を暗殺するに至るまでを描きます。

<あらすじ>
1979年、韓国大統領直属の諜報機関・KCIA。そのトップである部長、キム・ギュピョンがパク大統領を暗殺した。
暗殺の40日前、KCIAの元部長・パク・ヨンガクが“パク大統領の不正”をアメリカ議会で告発。
世界に恥を晒されたパク大統領は、キム部長含む側近達に騒動の収束を命じる。
国内外の動乱に対処する中で、キム部長は次第に大統領の方針と異なる考えを強めていく。

<キャスト>
イ・ビョンホン、イ・ソンミン、クァク・ドウォン、イ・ヒジュン

“光州事件”が題材の映画

『光州5・18』(2007年)

光州事件の犠牲になった市民達の立場から描いている本作。
最も事件のあらましが分かる作品かなと思います。

■『光州5・18』あらすじ
1980年5月、光州。
光州に住むタクシー運転手ミヌ(演:キム・サンギョン)は幼い頃に両親を亡くし、弟ジヌ(演:イ・ジュンギ)の面倒を見てきた。
ミヌは看護師シンエ(演:イ・ヨウォン)に思いを寄せ、日常を楽しんでいた。
しかしある日突然、彼らは思いもよらない事件に巻き込まれる。
銃、刀で武装したデモ隊鎮圧軍が、市民を殺害し始めたのである。
目の前で友人や恋人、家族を失った市民たちは、退役軍人のフンス(演:アン・ソンギ)を中心に
市民軍を結成して十日間の死闘を始める…。

■『光州5・18』キャスト
キム・サンギョン、イ・ジュンギ、イ・ヨウォン、アン・ソンギ

『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)

本作は、光州事件の実情を取材するドイツ人記者と、彼をソウルから連れて行ったタクシー運転手を描いています。
言論統制されていたので、市民が殺されていることなど海外に知られていませんでした。
彼らのおかげで軍部独裁のやりたい放題ぶりが世界に知らされましたので、間違いなく大きな功績です。

■『タクシー運転手 約束は海を越えて』あらすじ
1980年、軍事独裁政権下の韓国。
全国的に民主化を求めるデモが多発していた頃、特に“光州”という地域のデモが活発化していた。
その情報を入手したドイツ人記者ピーター(演:トーマス・クレッチマン)は光州に現地取材を試みる。
ソウルのタクシー運転手マンソプ(演:ソン・ガンホ)は、高額な運賃を期待しピーターを乗せて光州に向かう。
2人は光州の大規模なデモと、軍部の武力鎮圧による驚愕の惨状を目にする。

■『タクシー運転手 約束は海を越えて』キャスト
ソン・ガンホ、トーマス・クレッチマン、ユ・ヘジン、リュ・ジュンヨル

『26年』(2012年)

本作は、光州事件から26年が経ってからの物語。
事件で家族を殺された遺族達が事件の首謀者(全斗煥)に復讐を決意するというもの。
劇中で復讐の対象者は『あの男』という風に実名は出されてませんが間違いなく全斗煥のことです。

■『26年』あらすじ
1980年5月、戒厳軍によって多くの市民が亡くなった光州事件。
戒厳軍を率いたその男はその後逮捕されたが、特別赦免で釈放されてのうのうと生きていた。
事件から26年経っても遺族が抱える心の傷は癒えることはない。
遺族達は“元”大統領の姿がテレビに映るだけでも当時の辛い記憶が蘇る。
強い憎しみを抱える遺族たちの元に、謎の人物から“復讐の誘い”が来る。

■『26年』キャスト
チン・グ、ハン・ヘジン、イム・スロン、イ・ギョンヨン、ペ・スビン

『ペパーミント・キャンディー』(1999年)

本作は鬼才イ・チャンドン監督作品。
ある男が自殺するところから始まる、クライマックスの本作。
実は光州事件に従事させられていたという男の物語。
徴兵され、半ば強制的に加害者にされた人物の苦悩を描きます。

■『ペパーミント・キャンディー』あらすじ
1999年 春。
工場で働いていた仲間達のピクニックに場違いなスーツ姿で現れたキム・ヨンホ(演:ソル・ギョング)。
彼は奇妙な行動をとって友人たちを困らせる。
ヨンホの友人たちが怪訝そうに見つめる中、思い詰めた様子のヨンホは鉄橋に登り、列車が衝突する瞬間「帰りたい!」と叫ぶ。
そして、彼の人生の回想録が始まる。

■『ペパーミント・キャンディー』キャスト
ソル・ギョング、ムン・ソリ、キム・ヨジン

『息子の名前で』(2021年)

これも光州事件から時間が経っても未だ苦しむ人々を描きます。
「事件の主導者は反省もせずのうのうと暮らしている」という描写です。

■『息子の名前で』あらすじ
1980年5月の光州事件を忘れられず、苦しみの中で生きていたオ・チェグン(演:アン・ソンギ)。
大切な息子との約束を守るため、反省もせずのうのうと生きる事件の主導者達への復讐を検討する。
光州出身のジンヒ(演:ユン・ユソン)に会い、さらに決心を固めることになった彼は、 当時の責任者の一人だったパク・ギジュン(演:パク・グンヒョン)に接近する…。

■『息子の名前で』キャスト
アン・ソンギ、ユン・ユソン、パク・グニョン

“1987年・六月民主化抗争”が題材の映画

『1987、ある闘いの真実』(2017年)

民主化達成の大きなきっかけとなった『大学生拷問致死事件』を描きます。
隠蔽する警察と、それを世間に知らしめるべく奮闘した人々の物語。

■『1987、ある闘いの真実』あらすじ
1987年、軍事独裁政権下の韓国。
22歳の大学生が警察の取り調べ中に死亡した。
パク所長の主導で証拠隠滅を図る警察は、検察に死体の火葬を要求するも、担当のチェ検事はこれを拒否して司法解剖を要求。
警察は先手を打ち「単なる心臓麻痺による死亡」と発表する。
現場の痕跡と司法解剖の結果、死因は“窒息死”であると判明し、事件を取材するユン記者は「水責めによる拷問で窒息死」と報道する。
これを受け、パク所長は部下のチョ班長含む2人だけを収監して事件を収束させようとする。
ところが、刑務所のハン看守がチョ班長を通して事件の真相を知り、世間に知らせるため姪っ子の大学生ヨニに危険なお願いをすることになる…。

■『1987、ある闘いの真実』キャスト
キム・ユンソク、ハ・ジョンウ、イ・ヒジュン、パク・ヒスン、ユ・へジン、キム・テリ、ソル・ギョングetc

おわりに

いかがだったでしょうか。

韓国の民主化までの道のりは非常に長く、苦しいものでした。

最後までご覧いただきありがとうございました。

また次の記事もご覧いただければ嬉しいです。

■その他参考文献
・文 京洙,『新・韓国現代史』,岩波新書,2015年
・池 明観,『韓国 民主化への道』,岩波新書,1995年