【実話】『7番房の奇跡』のモデルになった冤罪事件は、想像以上に心が痛い
今回は映画『7番房の奇跡』(2013年)について。
本国で観客数動員数が1280万人を超え、2013年第1位の大ヒット作品。
実は、本作はある冤罪事件を基に作られた作品です。
しかし実際の事件は映画のような華々しさは無く、ただただ“やるせなさ”だけが残るものでした。
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もくじ
『7番房の奇跡』の基になった冤罪事件【実話】
事件概要と判決
1972年9月27日、江原道・春川で下半身裸の少女が死体で発見されます。実はこの被害者、警察所長の娘でした。
容疑者はチョン・ウォンソプ氏(当時38歳)。被害者が最後に立ち寄ったマンガ喫茶のオーナーでした。
警察が掴んだ証拠(証言)は以下の3点。
- ①隣人女性「チョン氏の服を洗濯時、パンツに血がついていた」
- ②マンガ喫茶の女性従業員「現場に落ちていた“くし”は、自身がチョン氏に貸していたもの」
- ③死体の第一発見者「現場に水色の色鉛筆が落ちていた」→チョン氏の息子の所有物であったと判明
そして、周辺人物からチョン氏の様々な余罪が浮かび上がります。
“くし”を貸したという女性従業員によると、「チョン氏から性的暴行を受けたことがある」との証言。
また、別の14歳の女性従業員も同様の被害を受けたと証言。
そして取り調べでチョン氏は殺人の犯行を認めます。
裁判時に「取り調べ時に自白強要の拷問を受けた」と主張しますが、第一審の判決は無期懲役。
チョン氏は「警察による自白強要があった」としてこの結果に納得せず、第二審に控訴します。
捜査記録の不可解な点
チョン氏の弁護士が警察の捜査記録を調べた結果、不可解な点が散見されました。
死体発見の当日に作成された現場周辺の地図に、「被疑者チョン・ウォンソプ」と記入されていました。
この時点で犯人と決めつけられていたことになります。
そして同じく当日に作成された事件現場の調書には既に“科捜研の鑑定結果”の内容が記されていました。
なぜ死体発生の当日に鑑定結果が出ていたのでしょう?
結果が出るまでに少なくとも数日はかかるのではないでしょうか。(まして当時は1972年でした)
これらの内容から、弁護士は『捜査記録は意図的に操作された可能性が高い』と推測。
そして、当時の警察内部では“10日以内に犯人を検挙できなければ責任者を処分する”というお達しが出ていたことが明らかに。
当時の朴正熙大統領が“警察の家族をターゲットにした”ことに憤慨して内務長官に下した指令でした。
しかし警察は全く犯人の目星がついておらず、チョン氏を犯人に仕立て上げて検挙したものと見られます。
警察は検察と協調し、想像を絶する拷問によって罪を認めさせ、なんとかして警察としてのメンツを保った…これがチョン氏弁護側の主張でした。
第二審(控訴)の結果
しかし弁護士の主張は認められず、第二審でも無期懲役。最高裁まで上告するも、結果は無期懲役で確定。
刑務所に15年間服役後に模範囚として出所しました(1987年)。
しかし出所後も諦めなかったチョン氏
チョン氏はまだまだ諦めません。
当時の担当弁護士が捜査記録と裁判記録を全て保管してくれていました。
そのおかげで資料は十分でしたが肝心の弁護士が亡くなり、なかなか頼れる弁護士を見つけられませんでした。
1999年に再審請求→棄却
時が経ち1999年。チョン氏は助けてくれる弁護士に出会い、自身の無罪を勝ち取るべく再審請求を進めます。
明らかになった事実
しかしここで衝撃の事実が明るみに。
「チョン氏に性的暴行を受けた」と証言した当時の女性従業員と、
「水色の色鉛筆が落ちていた」と証言した第一発見者。
それぞれが「嘘の証言をするように警察に強要されていた」と明らかにしました。
この事実はチョン氏側からすると大きな追い風。
しかしソウル高裁は「事件から30年近く経過した現在の証言には信憑性がない」と判断し、この再審請求は棄却されます。
その上、証言を変えた2人は偽証罪で逮捕されました。
2003年に最高裁に上告→棄却
最高裁も請求を棄却。
チョン氏には、もう希望がないかと思われました。
2007年、再審が認められる→無罪
2005年、“真実和解の為の過去史整理委員会”が結成されます。
過去の不当な判決などを見直すべく組織された委員会です。
この委員会がチョン氏の事件を捜査し始めます。
その過程で不可解な点や拷問の事実が認められ、裁判所はチョン氏の再審を行うことに。
第一審で「検察の証拠は有効なものと認められない」として無罪判決。検察が控訴しますが第二審も無罪判決。
そして2011年の第三審(最高裁)も無罪判決で確定。
チョン氏は、39年間に渡る長い闘いに勝利。77歳の時でした。
その後、チョン氏への補償は?
39年間も強姦殺人犯の濡れ衣を着させられ、そのうち15年間は刑務所に入れられたチョン氏。
適切な補償がなされたのかが気になるところです。
無実の罪で刑務所に入れられた場合、“刑事補償金”というのが支給されますが、チョン氏への支給額は9億6千万ウォン(約9,600万円)でした。
しかしこれは一括払いではなく、4回に分けての支給。
裁判費用がかさみ、借金が膨らんでいたチョン氏は国に対して損害賠償を求める裁判を起こします。
損害賠償請求の不可解な結果
第一審では「26億ウォン(約2億6千万円)の損害賠償を命じる」という判決。
当時のニュース映像です。1:00頃からご本人が登場されます。(オール韓国語)
しかし国が控訴して迎えた第二審の判決は「損害賠償は認められない」という判決に。
この不可解な判決は、『公訴時効は6ヶ月以内であり、チョン氏の訴訟は時効を10日過ぎていた』という理由によるものです。
つまりは“訴訟の期限切れ”です。
第一審の時点ではその期限は“3年以内”でした。それが第2審の段階でいきなり“6ヶ月以内”に短縮されました。
それに対する国からの明確な説明はなく。
その後、事件の関与した警察や検事、裁判官などを相手取り損害賠償訴訟を起こし、23億ウォン(約2億3千万円)の支払い命令が出ています。
当時のニュース映像です。42秒頃からご本人が登場されます。(オール韓国語)
チョン・ウォンソプ氏の最期
その後チョン氏は脳卒中に倒れます。そして認知症を患い、当時の記憶も曖昧に。
晩年のインタビューでは、「生まれ変わったら、拷問のない世界に行きたい」と語っています。
記憶が曖昧な中、決して忘れることができない地獄のような拷問であったことを物語っています。
そして2021年3月28日に87歳でこの世を去りました。
『7番房の奇跡』の実話は、想像以上に残酷だった
チョン氏は長い道のりの末、無罪を勝ち取ることはできました。
しかし、ある日突然犯人に仕立て上げられ、拷問で自白させられ、貴重な39年間を奪われ…。
あまりにも理不尽ではないでしょうか。
彼の物語を基にした映画『7番房の奇跡』で、主人公ヨングは死刑を執行されてしまいました。
映画と実話、どちらが残酷かなんて比較するものではないでしょうが、私はチョン氏の境遇もこれ以上ないほどに残酷なものだと思います。
今は亡くなられているチョン氏ですが、どうか天国では不条理のない安らかな暮らしをされていることを願います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
いくら警察の科学捜査力が向上しても、“冤罪”は無くならないと言われています。
映画『7番房の奇跡』のように、“死刑執行後に冤罪が判明”なんてことは絶対に避けねばなりません。
韓国は死刑制度が現存しますが、1998年以降一度も執行されていません。
死刑制度の是非については様々な議論がなされていますが、“冤罪”という要素はそれをより複雑化させる要因であるといえます。
また、当ブログでは他にも実話ベースの映画を紹介した記事を紹介しています。
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最後までご覧いただきありがとうございました。
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・東亜日報2021年3月31日記事『‘7번방의 선물’ 주인공 정원섭 목사 별세』
・YouYube2021年4月29日『‘아들아, 너는 살인범의 자식이 아니다’ 춘천파출소장 딸 강간살인사건의 진실ㅣ그알 캐비닛』